昨日と今日、一泊二日でゼミ合宿で湯河原に行ってきた。
二日間だけなので昨日の午後と今日の午前、都合六時間しか勉強していない。
対して、夜のコンパは六時間以上も延々と続いたのであった。あんまりである。
中国を出て以来となる久しぶりの酒であったが、もうしばらく酒は飲みたくない。
ひどい二日酔いで手足がしびれ、運転できないかと思ったが、這う這うの体で帰還。
帰りに大学で成績開示をしてみると、残す単位はゼミだけとなった。めでたい。
話を旅行へと戻すと、
9月12日、カシュガルを出発し、中国とパキスタン国境の街タシュクルガンに宿泊。
洗牌が不十分で配牌の時点で一気通貫が出来ているような粗雑な麻雀と、
夜は満天の星空を見物。
9月13日 ハッピーラマダン!!
朝、8時にバスは交通賓館を出発。遠くで名残惜しそうな表情を浮かべたながら、
バスを見送る例のタジク帽子女の姿をこの俺は見逃さなかった。
バスの上にはパキスタン人商人達の荷物が山ほど詰まれている。それらを一度全て
おろし、中国税関の検査を経て出国手続きを完了し、それらを再び積みなおす
のに三時間かかった。11時過ぎにパキスタンへ向けて出発、今朝タシュクルガンから
バスに乗ってきて俺の隣に座ったパキスタン人、アミンさん。何でも十年程前は栃木で
働いていたそうで、日本語はまぁ堪能だった。アミンさんがくれるクッキーをバクバク
食べながら窓の外の景色を堪能。正直言ってアミンさんの口臭は洒落にならなかった。
ニコルさんは言いました。「森は生きている。」
しかし、岩肌がむき出しになった山々が見せる表情は、じつに過酷で非情だ。

道中にあるフンジュラーブ峠は標高5,000m近くある。
頭痛や吐き気は感じなかったが、やたら眠くてついウトウトする。
結局峠で一番高い場所にあるカラコルムハイウェイ開通記念碑を見逃してしまった。
フンジュラーブ峠を越したあたりの風景。

アミンさんと話していると、頼みごとを持ちかけられる。
お安い御用だと聞いてみると、日本に帰ったら栃木時代に仕えていた社長である
ナカジマさんに電話をかけて、アミンが宜しく言っていたとだけ伝えてくれとの事だった。
快く引き受けてナカジマさんの電話番号も控えておいたのだが、まだ電話していない。
簡単な話なんだが、突然見知らぬ日本人に電話をかけて、セイハローした際の
向こうの反応とか考えるとめんどくさい。
以前、インドのムンバイの結構外れにある居酒屋で飲んでいた時も、
俺が日本人だと見ると一人の店員が寄ってきて何やら話しかけてきた。
通訳してもらうと「兄が日本に働きに行ったまま、ずっと連絡が取れていない。
無事を確かめてきてほしい。」とのことで、名前と"090"から始まる番号が書かれた
紙ナプキンを手渡された。この時もインドへの恩返しとして一肌脱ごうかと最初は
考えていたが、結局めんどくさくてやっていない。
今まで海外を旅行して自分はどれだけ多くの人たちに助けてもらっただろうか。
それを考えれば、電話で連絡をするくらい何でもないはずだ。
そんなことは分かっているのに動かず仕舞い。最低だ。いつか罰が当たる。
それからアミンさんの口臭に昇天していると、パキスタン国境の街スストに着いた。

無事入国手続きを済ませたが、そこから再び荷下ろし、検査、積み荷が終わるのを
三時間ほど待たなくてはいけない。そこで旅行者同士誘い合って、乗り合いワゴン
(カラコルムハイウェイ沿いにある村々を結ぶワゴン。途中の道からも乗れる)で
フンザ旅行の拠点となる村カリマバードを目指す事に。最初に乗ったワゴンは国境から
一時間ほどの場所にある村、パスー止まり。疲れたのでとりあえず飯を食うことにする。
カシュガルから一緒のバスに乗っていたくたびれた邦人三十路女と、パスーの手前で
ワゴンに乗ってきたトレッキング帰りの煤けた邦人三十路男性はそのままヒッチハイク
するとのこと。勝手にしろい、と丘の上にあるレストランに入る。どかっと席に着いて
道路を見下ろすと早速三十路コンビが乗用車のヒッチハイクに成功して走り去って
行ったのを見てしばし呆然とする。
レストランGlacierから撮影した夕暮れも近い谷の風景

残されたクリスと俺。飯を食ってからヒッチ開始。
30分ほどしてから乗り合いワゴンが来た。
パスーからさらに一時間ほど行ったところにある村、グルミットまで辿り着く。
グルミットでもさらにヒッチハイクを試みたが、日が暮れるとカラコルムハイウェイを通る
車は最早無く、この日はグルミットに泊まる事に。停電中と思しき村の中を懐中電灯で
照らしながら歩くと宿を発見。"Gulmit Continental"ダブル一部屋が
300ルピー(600円)。電気も無いし酒も無いので寝るしかない。22時には寝た。
9月14日
この日の午前はグルミット周辺を散策することに。いくつかの村と氷河を見るハイキング。
写真はクリス。オーストラリア人30歳職歴無し、今まではセミプロのようなスノー
ボーダーだったらしい。昨年一年はイギリスでデイトレを個人でやっていたらしい。
来年から哲学の修士に進むらしい。
五日間一緒だったけど日本人の俺の尺度では測れない男だった。
因みにこの日は雲ひとつ無い青空。昨日の邦人山男曰く、2、3日前から快晴らしい。
トレッキングをするには絶好のチャンスだ。

グルミットから丘一つ越えたところにあるカマリス村の子供。
パキスタン北部は、パキスタンの人口の過半を占めるパンジャーブ人とは異なる人種の
人々が暮らしており、独自の言語や風俗を持っている。よって、このように金髪碧眼の
子供達が多い。アレキサンダー大王遠征軍の末裔なんて伝説もある程だ。
ここグルミット周辺は「ゴジャール」という地域で、人々はワヒート語を話す。
少し南に行くと、カリマバードがあるフンザになって、また別の言語を話す。

雨季が明けて、緑が美しいパキスタン北部を訪れるには最高の季節。
加えて天気にも恵まれた。


カマリス村、グルキン村を経てグルキン氷河を目指す。
それなりに険しい道を登りながら何とか辿り着くとそこには、、、、

何だか黒くて汚れた堆積物が。。。氷河の上に泥が堆積しているらしい。
この氷河は横断することもできるのだが、まぁ危ないしフンザへの移動もあるので撤収。
必見。この旅で唯一の、子供でない女性を捕らえた写真。
見ず知らずの女性にレンズを向けること自体物議を醸す行為であるが、
ましてやイスラム圏である。当然自粛していた中、思わず撮影。

パキスタン北部、フンザ一帯をしてよく言われるのがナウシカの舞台のモデルである、
ということ。ナウシカなんて昔一度だけ見たことがあるだけでよく知らないんだけど、
確かこんな感じの三つ編みのババアが登場していた気がする。「フンザ=風の谷の
モデル」説を裏付ける証拠となるだろう。この三つ編み婆、ここらでよく見受けられる。
さて宿に戻り荷物を持って、カリマバードを目指しヒッチハイク開始。
しかし、乗り合いワゴンも来ないし、ヒッチする車も通らない。
しかし、一時間ほどしてからパキスタン名物デコレーショントラックが止まってくれた。
めったにない経験だったが、大型トラックなのでエラい遅く、
カリマバードまで3時間ほどかかってしまった。
デコトラ

快く乗せてくれた運転手。うっかり水を飲んだらラマダンだ!と怒られた。

何とかカリマバードの麓に到着。ゆっくり進むトラックの座席はかなり疲れる。
そこから割と急な坂道を20分程登ったろうか。俺のバックパックは要らない物ばかり
詰め込んで結構重いので、それを背負って登りきった時にはチアノーゼ寸前だった。
カリマバードには有名な宿が三軒ほどあるが、その内の一軒、"Hunza Inn"にチェック
イン。勝新太郎によく似た主人が切り盛りしている。夕食の時間までに、付近を散歩
していると早速日本人とすれ違う。話を聞くと、他二軒の宿は日本人を中心に多くの
旅人で賑わっているらしい。"Hunza Inn"には日本人は俺だけ、総勢も五人未満。
勝新の名が泣く。
夕飯時にそんな会話をしていると、それを聞いた勝新がたまりかねたように口を挟む。
"Khosho-san guest house has good facility for Hashish,
Heider inn has good facility for alcohol, and here good facility for food."
ハイダーインには粗悪なアルコールを使った地元の密造酒があるらしく、
またコショーサンでは夜な夜な日本人がハシシに耽っているらしい。
フンザイン自慢の食事。腹いっぱい食べられて75ルピー。

今日も電気無し酒無しなので、同室のクリスは夕食後すぐ布団に入ってしまった。
前日も前々日もそうだったが、この男よく眠る。さすがに九時前に寝るのは俺には
無理なのでジャンキー共と対峙すべく意を決して虎の穴・コショーサンGHへ向かった。
到着すると食堂を十人余の日本人で占拠している。そして既にハシシが回っていて、
早くも目を真っ赤にしている奴なんかもいる。隅っこに座って、適当に会話に加わる。
ハシシが回ってくるがきっぱり断る。あくまでジャンキーとの対話が目的である。
それにしても会話がしょーもない。海外でよくある日本人長期旅行者同士の
旅の思い出だとか豆知識の類に過ぎない。
30には手が届いてるであろうおっさんが、とろんとした目で
「宮崎駿はこういう風景を見てナウシカを描いたんだよな…」とか言うのを見るにつけ
お前大概にしろよと言いたくなる。どうしても日本人長期旅行者の場合は欧米人と
違って、社会からのドロップアウト組が多くなってしまう。必然、年相応の経験とか
見識を全く感じさせない人が多い。良く言えば若く見える。時には30overの人が
自分よりも年下に見える事すらある。そんな人がろくに仕事もせずに海外に出ては、
昼はゴロゴロして夜はハシシに耽る。先人達が一生懸命はたらいて円を強くしてきた
からこそ成せる業である。人のふんどしで相撲とってるみたいなもんだ。
まぁ俺もモラトリアム学生旅行者だから偉そうなこと言えないけど。
にしたって日本人で群れて宿の食堂占拠してハシシ回すなんていうのは、
他の国の人たちからしてみたら、非常に奇怪な光景だろう。日本の恥だよ。
ジャンキーとの対話も程程にして我が宿へ戻る。
この日も星が凄かった。流れ星を見た。
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