2014年1月20日 (月)

記録(1月18・19日)

1月18日 土曜
先週に続いてTipnessのtimeに参加。
Timeとは?
20秒動いて10秒休む、これを8サイクル2セット繰り返す
サーキットトレーニング。
田端プロトコルという理論を取り込んだプログラムで、
脂肪燃焼を高めるらしい。
吐きそうになるほど追い込める。
悲鳴が上がるのを抑えられない。
短時間で相当な負荷をかけられるので、ありがたい。終了後77kg、正月太りから戻らない。

1月19日
Tipness で20分のランニング後、ヨガのクラスに参加。
女性率が高かった。足と体幹に効いた。
その後、ゴルフの体験レッスンでアプローチの練習。
ポイントは…
アプローチでもコックを効かせる
ダウンスイングは左脇でリード
左腰を後ろに引かない
ボールの位置、フェイスの広げ方でしょうか。
3月8日のラウンドまでもう少し練習。

風が強い日だった。
来週は自転車に乗るか、またtimeに参加する。

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2014年1月 5日 (日)

スペイン旅行後篇

しばらく時間が経ちましたが、
なんだか連休最終日にやたら早く起きてしまったので、
スペイン旅行の後篇を書いてみます。

四日目
前夜の戦争の余韻を引きずりながら、朝バスに乗ってRondaという街へ。
ここは崖の上に位置する街の景観と、壁が白く塗られた町並みが人気。
深さ数百mはあろうかという渓谷で新市街と旧市街が分かれており、
その二つを結ぶ橋の周辺は観光客で賑わっていた。
なんかこれだけ書くと退屈だけれども、妻はここが一番気に入ったようです。
再びバスに乗って夕方にはMalagaの街に到着。
ここは大きな港町で、Costa del sol(太陽の海岸)の中心。
冬でも太陽が降り注ぐ温暖な気候を目指して、英独からもたくさん人が来るようです。
夕食をとったロンリープラネットお勧めのレストラン、
ステーキとパスタ(スペイン料理とは言えない)が美味しかった。
途中でフラメンコが始まり、前日に見過ごした分よく見た。
踊りが始まってしばらくしてから指名された客が一人ずつ前に出て、
ダンサーに合わせて二人で踊るような余興が始まった。
ヨーロッパ人は「踊る」ということの経験値が概して高いんだろう。
じいさん、ばあさんでも堂々とステップを踏んでいた。
店内にいるアジア人、若年層が我々だけだったので
物珍しさに指名されるんじゃないかという、嫌な予感が的中。
「踊る」という「唄う」よりもさらにハードルが高い行為だけれども、
旅の高揚した気分でなんとかこなした。
最近は学校の授業でダンスが必修だと聞くけれども、
国際人養成のためには英会話だけじゃなくて踊りも重要だということか。

この日の夕方、数百メートルも続く行列に出くわし、
それを眺めていた私に声をかけてきた一人の貴婦人が言うには、
彼らはサンドイッチに行列しているそうです。
サンドイッチの超人気店かと思いきや、貧困層に対する炊き出しだとか。
全体の失業率が20%超、若年層に限っては50%超とも言われる
スペインの不景気を目の当たりにした。

五日目
朝食は、名物のホットチョコレートとチュロスを食べた。胸やけした。
大聖堂を訪問、内部は荘厳な空気が流れていた。
ここはピカソ生誕の地で知られ、ピカソ美術館もあり、年代別に作品をフォローできる。
1910年代は普通の女性の肖像画なんかも書いていたけれども、
以降一般的にイメージされるピカソの絵になっていく。
他の画家と影響しあいながら変化を続けてきたピカソの絵画は、
なんでも7つの時期に分類されるそうです。
青とかピンクの色使いが斬新、、、位しか分からないけれども。
その後は高台に上って、海が見える店で昼食。味は普通。

その後はモールで買い物。
高校生の頃よく遅くまで起きてスペインサッカーの中継を見ていた。
その頃のバルセロナは、金本が入る前の阪神のような状態で、
リーガエスパニョーラも今みたいに完全な二強態勢でなく、地方のクラブも奮闘していた。
そして、その頃のMalagaは、破壊的な2トップが時折上位を脅かしていた。
そんなことを思い出してレプリカユニフォームを買った。
絶対着ないけれども、この街が気に入ったので、部屋に吊るしてある。

この日の夜は目当ての店が開いてなかったので、タコベルという
タコスのファストフードチェーンで済ませた。惨めな夜だった。

六日目
朝、バスに乗って今度はGranadaの街へ。
アンダルシア地方のハイライトとされるアルハンブラ宮殿のある街。
昼食に食べたイワシのフライがシンプルな味わいだけれども、とても美味しかった。
そしてアルハンブラ宮殿へ。ここの説明は私の語彙では難しい。
イスラーム文化の粋を尽くしたような場所で、
その佇まいは在りし日の耽美な宮殿社会を想わせた。
夜はパエリヤ。今度staub鍋で作ってみようかな。
食後にアラブ風浴場へ。
アラビアンナイト風スーパー銭湯みたいな感じで、男女一緒に水着を着て入る。
特に珍しいこともないが、ただ一人凄いboobsの持ち主がいた。

7日目
朝9時頃だったか、列車に乗ってマドリードへ。四時間位かかった。
この日が実質最終日で観光にも疲れていたので、買い物に専念した。
ヨーロッパで三本の指に入るらしいプラド美術館は断念した。
キリスト教とか神話をテーマにしたような絵画が多くて飽きてしまう。
全体が茶色とかグレー基調で、目をひんむいた馬が下敷きになって、
その上に後光が差した神が君臨している、そんなおどろおどろしいイメージ。

私は革靴を探していた。
ところがこの日はスペインの祝日で、店も軒並み休んでいる。
銀座中央通りにあたるようなセラーノ通りにも、人っ子一人いない。
絶望的な状態で向かったCarminaもやはり休みだった。
が、El conte Englesというデパートというかイオンのような店だけが開いていて、
そこにCarminaの靴も置いてあったので、ストレートチップを一足購入。
そして、Meerminは開いていたので、コードバンのプレーントゥを一足購入。
概ね計画通りに事が運んで大満足。
良質な革製品が比較的安価に購入できるのが良いところか。
夜はアルゼンチン料理の店Camoatiへ。
昔ブエノスアイレスで食べたステーキの味が記憶に残っているので、
最終日だがアルゼンチン料理を選択。
やはりステーキと赤ワインの組み合わせに間違いはなかった。

八日目
昼頃の飛行機に無事搭乗。免税店でワインを四本購入。
土産物の重さで腕がちぎれそうになりながら、帰宅。
移動が多い旅だったけれども、楽しい旅でした。今度は北部にも行ってみたいと思ふ。

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2013年11月16日 (土)

スペイン旅行前篇

先月結婚してスペインへ新婚旅行に行ってきました。
なかなかブログに書くことがなくなってしまったが、
旅の記録を取って後に振り返ることは大事だと思うので、久々に投稿。
フェイスブックは長文書くのは抵抗あるしね。

10月某日
この日の夜から一週間のスペイン旅行へ出発。
スペインへ決めた理由は、折角の長い休みなのでヨーロッパに行きたかったことと、
イスラームが混在した文化に魅かれて、アンダルシア地方を選択。
22時頃成田発の便に搭乗、ドバイ経由でマドリードへ向かった。
初めて乗ったエミレーツは機内食が美味しかった。
ドバイ空港は深夜にも関わらず、世界中の人でにぎわっており、
特にムスリムだけでもアフリカ系、中東系、中央アジア系と推察される人々がいて、人の往来を眺めるだけでも面白い。
エミレーツがドバイをハブにして、世界のあらゆる所に就航しているとは知らなんだ。
14時にマドリード到着、アトーチャ駅(上野駅みたいなポジション)近くのホテルにチェックイン。
この日は特に何もなく街歩き。マドリードの街は徒歩で大概の場所は行けます。
ガイドブックで良く紹介されているマッシュルームのタパスが有名なバルで一杯。
ホテルに戻ってから疲労困憊の妻を残して、カナッペが有名なバルで一杯。
二軒目は物凄い繁盛店で、皆談笑している中、一人で飲むのは具合が悪かったです。

二日目
この日は古都トレドへ。
かつて西ゴート王国の首都だったそうで、マドリードから70km程度の距離、まさにスペインの鎌倉。
朝10時20分のAVE(高速鉄道)に乗って30分、
荒涼とした大地とオリーブ畑を眺めているとあっという間に到着。
鉄道のチケットは事前にネット予約、早割も享受できた。
街をブラブラ、小町通りというか清水坂というか、、、よくあるような土産物屋もたくさんあります。
ここトレドも8~11世紀にイスラーム勢力の支配下にあったようですが、建築にその影響は見られなかったような気が。。。
イスラーム支配下でも、ムスリム、カトリック、ユダヤ教徒が共存していたとか。
街を周回する列車型のバスに搭乗、城郭の外から眺めた街の風景は時が止まったかのよう。
エル・グレコという画家が愛した街、風景だったそうですが、私はエル・グレコも西ゴート王国も知りませんでした。
夕方にマドリードに帰還後、ソフィア王妃芸術センター(だったかな)へ。
足早にピカソのゲルニカやダリの作品を鑑賞。
スペイン内戦の歴史や、シュールレアリスムについても知識が無いけれども、
ゲルニカよりはダリの奇天烈な作品群に印象づけられた。
この後は19時半のAVEに乗って、セビーリャへ。いよいよアンダルシア地方。

三日目
前夜は22時にセビーリャ到着後、lonelyplanetに載っていたバル、Los colonialesへ。
店に入ったのは23時を回っていましたが、この位がスペインでは一番賑わっている時間のようです。
感じの良い評判通りのお店でしたよ。
ここセビーリャはイスラームの影響を受けた建築が多く残っており、
幾何学模様をあしらった内部の装飾が美しい(語彙が乏しい)。
日中歩いていただけで疲労困憊。前夜に通り過ぎた「世界最大の木造建築」もこの日行き損ねた。
夜は予約していたレストラン"contenedor"へ。
人気の創作料理の店という触れ込み。一番乗りだったが、そこから20分もしない内に満員に。
予約なしで来た人は、入店を断られている。オープンキッチンで、内装もお洒落。。。
その日のメニューが書いてある黒板が一枚あって、それを持った店員がテーブルを順番に回って
オーダーを伺うという形式。一番乗りの私達は良いが、後続が食事を開始するのはかなり遅くなる。
概してスペインの夜は20~21時頃から始まる。昼休みが長いので、仕事が終わるのも遅いんでしょうか。
この日は月曜だったが平日でもどこの店も賑わっており、仕事帰りに職場の人と食事しているようにも見えず、
家族や友人との時間を楽しんでいるんだろうか。
周りの顔色を見ていると、失業率が20%超(20代では50%超?)の国には見えない。
味の方は、イタリアンっぽかったけど丁寧に調理されていて、見た目も鮮やかで美味しかった。
二人で3品頼めばたくさんで、ワインも安いので、50ユーロ位だったかな。安いよね。
この後は22時からフラメンコ鑑賞。半分くらいうとうとしていたら、後で戦争勃発。
昼間動きすぎたかな。まぁいい思い出になるでしょう。

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2007年10月 9日 (火)

新彊・巴基斯丹の旅~グルメ編~

上田桃子のブログが一昨日の情熱大陸での発言のせいで炎上してしまったらしい。

俺もその情熱大陸見ていたけど、桃子のプロ意識と根性、頭の使い方に敬服した。
サラリーマンだってあの位気合入れてやらないといけないんだろうと思った。

その桃子のブログが炎上してしまったらしい。タイトルは「桃尻桃子の待ってろ世界」
炎上のきっかけは「バスケとかバレーみたいな日本にプロが無いスポーツをやる
人が不思議」とかいう旨の発言で、議論を呼ぶだろうけど俺は感心したね。

日本は依然として排他的なムラ社会だ。海外にまで出て日本人宿で閉鎖的な
コミュニティーを形成する事の多い日本人旅行者を見てもそう思うし、日々
新聞やテレビの論調を眺めているとその思いは募る。そもそも新聞こそが規制で
手厚く保護された産業だから、むべなるかなという感じである。

そんな日本のムラ社会では突出していたり異質な存在はどうしても叩かれやすい。
沢尻みたいな奴は叩かれればいいんだけど、傑出していたりユニークな存在の人達に
とっては暮らしづらい社会かもしれない。俺はこのムラ好きだけど。
それにテレビを見て他愛の無い発言に憤ってブログに突撃するっていうのは
一体どういう人達なんだろうか。


さて今回は旅日記番外編・グルメ編。100%自己満足でしかない。
旅行においてする事は三つある。

地元の名所等を訪れること、地元の人と話すこと、
そして地元の食べ物を食べつくすことである。
中国を旅行していた間は、この食が占めるウェイトが非常に高かった。
人目を気にせず食事時に撮り貯めた写真を紹介しよう。

清真(イスラーム)串揚げと、燕京ビール。16元(240円)
燕京ビールはかなりレベルが高い。

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新彊名物、ラグメン。トルファンの名店、スレイマンラグメン。
うどんのようなコシのある麺の上に、羊、トマト、ピーマン等炒めたものが乗ってる。
羊の解体方法が良いのと、その朝に捌いたものを使うからだろう。臭みが全く無い。

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地球の歩き方に載っていたウルムチの名店で食べたシシカバブと炒麺。
マカロニ状の麺と羊や野菜が炒められている。

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これまた歩き方に載っていたウルムチの店のワンタン。
これで6元とかだったと思う。はち切れそうなワンタンが入ってる。

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涼粉、リャンフェン。いわゆるトコロテン。
辛くて酸っぱいタレがかかってる。美味くも不味くもない。1元。

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羊の肺と、腸にご飯を詰めたものを茹でたもの。
なんか食感がもったりしていて、食べながら調理の様子眺めてたら気分悪くなった。

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サモサ。羊肉とたまねぎが中に入ってる。ピロシキみたいな感じ。
サモサはインドやパキスタンにもあるが、そちらはカレー味のジャガイモが中に
入っているだけで、新彊のサモサのほうが遥かに美味いのだ。

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シシカバブとナンとヨーグルト。
羊肉についてよく言われるような臭みが全くない。肉にコシがあり、脂の味も上質。
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この位だろうか。
パキスタンはラマダン中だったのでイマイチ食事は楽しめなかった。
ラマダン明けまであと4~5日だろう。きっと盛り上がっているんだろう。

中国のオーソドックスな便所。
この下にウンコが峻険な山のようになって堆積してる。

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2007年10月 6日 (土)

新彊・巴基斯丹の旅~残り~

単位も取り終えて後は卒論しか残ってないので、ぷー太郎みたいな生活してます。
パキスタン日記書き終えちゃいます。

9月18日
朝の6時頃だったろうか。ラワールピンディのバススタンドに着く。
大統領選も近いデリケートな時期で、二週前も30人爆死した事であるし、
面白みも無い場所なので、すぐ通過。ペシャワールへ。

パキスタンの北西部には北西辺境州という地域が広がっており、ペシャワールは
その州都。そこからさらにアフガニスタンとの国境へ向かった一帯は、多くの部族が
居住するトライバル・エリアとなっている。そこでは国の法律が国道以外では及ばず、
部族の掟によって支配されている。行方不明となっているビンラディンやタリバーンの
オマル師もここの山間地帯に間違いなく潜伏しているとされる。

聞くだけでビビってくるが、ペシャワールはそのトライバル・エリアへの玄関口である。
7月には中国人が数人殺害されている。そんな所に行っても良いものだろうか…。
迷っていたんだが、旅行者から直接聞いた話を総合するに、街中を歩くには
問題なかろうということで、行ってきた。街へ着くと、宿探しに。ここで一苦労。
4~5軒回って、どの宿もフロントの後ろには鍵がジャラジャラ下がっていて
部屋は空いているようなんだが、にべもなく断られる。宿の中に入るだけで
金属探知機でチェックされる。やはり警戒度が高いようで、外人であるがため
断られているようだ。やはり来るべきではなかった…そう思いながら、
水も飲めず、不要に大きい荷物を背負って街をさ迷った挙句、ようやく安宿発見。

宿に着いてから人目を気にする必要も無く飲んだペプシの味を忘れない。
この日は夜まで何もしなかった。18時を過ぎた頃、日没してレストランが
開き始める。アフガン料理と言うんだろうか?カラーヒを食べた。
隣の机に座ってた男達が話しかけてくる。中国人だと思われていたようだ。
まさか…戦慄する。そそくさと食事を終えて会計しようとすると、先程の男達が
払ってくれた。こんなことならもっと食っておくんだった!!と思った。
これがイスラーム社会でよく聞くおもてなしなんだろうか。
帰り道、レストランを除いた全ての店は閉まっていて道には人っ子一人いない。
怖かったので走って帰った。

こんな情勢なのでペシャワールも観光客が少ないんだろう。
俺の宿も夜になったら、俺とチェコ人、従業員の男一人だけだった。
事件は起こった。チェコ人が自分の赤いスイスアーミーナイフが無くなったと
騒ぎ出し、従業員を犯人扱い。三人だけの空間はこの上なく気まずかった。
因みに自分も赤いスイスアーミーナイフを持っていたので、実はチェコ人が
仕掛けたアングルなんじゃないかとひどくドキドキしたのを今も覚えている。

経費:宿泊費150Rs 飲食費237Rs 交通費105Rs  合計492Rs

9月19日
旧市街を見学。独特な雰囲気。
件のチェコ人と一緒に回った。外に出ている間は水も飲めないし、チェコ人の
押しが強すぎてヘロヘロになった。ただ宿に帰ると昼飯を作ってくれるという
優しい一面も持っている。「1USドル=120円」という話をすると、
「ルピーより安いのか!日本の経済はもう終わっている!」と真剣な顔で言われた。
昨日の事が嘘のように、今日は従業員にウルドゥー語の教えを乞うていた。
きっとナイフなんて最初から持ってなかったんだろう。つまりは馬鹿なんだろう。

郊外にはハシシ工場とか銃工場、難民キャンプがあって面白いそうだ。
だがトライバルエリアだけは怖くて行けないので、旧市街を見れば十分。
この日の夜行バスでラホールへと発った。

ペシャワール。旧市街バザールの風景。

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経費 飲食費140Rs 交通費320Rs ネット15Rs  合計475Rs

9月20日
朝の5時前にラホールに着く。ラマダン中なので、先日と同じように4時に朝食。
勝手の分からぬ食堂で所在なさげに立ち尽くしていると、オッサンが席を用意して
くれて、一切合財注文してくれた上で、おごってくれた。ありがとう、ありがどう゛…。

ラホールの街。この時は気付かずに何気なく街並みを撮影したけど、
看板の女性は上原多香子である。SPEED世代にはたまらないね。

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博物館に行った。有名な「断食する仏陀」

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このファスティング・ブッダ等ガンダーラ美術が非常に充実した博物館だった。
大学生っぽい団体がいたんだが、やっぱり美人が多かった。シャルワール・
カミーズではなくジーンズを履いた女の子も一人だけいた。ペシャワールとは
異なったパンジャーブの大らかなカルチャーなんだろう。一つの国の中に
保守的なイスラームと寛容なイスラームが同居している。この国が割れるはずだ。

フンザやペシャワールを急いで去ったのには訳があった。
ここラホールでは毎週木曜日にイベントがあるそうなのだ。イスラーム社会では
金曜日が休日に当たるので、木曜日は日本で言う花金といったところだろうか。
一つ目のイベントは宗教歌謡カッワーリーのコンサート?。歌っている内容は
当然分からないけど、アッラーやムハンマドの賛歌らしい。ところどころで聴衆は
絶頂に達していて、神が憑依したかのような人たちが時折前に出てきた。

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同じような服装、髪型、ヒゲをした男が多いパキスタン社会において、
前に躍り出てきた人たちはエキセントリックな男達が多かった。その中でも
特別だったのが、我々外人観光客の前まで来て日本舞踊のようなムーヴを
披露した爺さん。しなのある動きが写真から伝わるだろうか。
このインドやパキスタン社会のスタンダードを遥かに逸脱した装い。

この男、相当にかぶいている。

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カブキ者達に圧倒されつつも、次に向かったのはスーフィーダンス。
スーフィズムとは神との一体感を強調するイスラームの神秘主義であることは
世界史で触れたことがあるが、そもそもその行者をスーフィーということに
由来する名前らしい。町外れにある会場に着くと、すでに異様な雰囲気が
立ち込めている。先程のカッワーリーもそうだったが、こうしたイベントに
女性の姿はほとんど見られない。

パンジャーブ伝統の楽器を使った演奏とダンスが始まる。
超満員の会場で陣取った位置が悪かったのでダンスが見えず音に耳を傾ける。
しばらくすると、食べ物やお菓子、ココナッツが次々と回ってくる。インドのお祭や
宗教儀式と一緒である。そのうちに、どんどんとハシシが回ってくる。
インドでもサドゥー(行者)がハシシを吸っていたりと、宗教と麻薬が関連している
側面は無きにしもあらずで、社会が麻薬をどこかで許容している感もまた無きにしも
あらずであった。ただ、そこだけを切り取って「麻薬やらなきゃインドは分からない」とか
「インドにいたのに吸わないならつまらなかったでしょ」とか言ってくる旅行者はいるが、
それは大間違いである。実際に今回のスーフィーダンスも荘厳さのかけらもなく、
ハシシの力を借りたトランスイベントに過ぎなかった。むしろ安易に薬の力を借りずに、
神との一体感を得ようとしてきた伝統文化や宗教儀式にこそ見応えがあるのでは
ないか。まぁとにかくインド(国民国家ではなく、パキスタン等も含めた一大文化圏
としてのインド)と麻薬を結び付けるのは間違いである。

そういうことを三時間も輪に加わって、飛びそうになる頭を抑えながら考えていた。
街中であんなイベントが堂々と行われているというのがよく分からない。奇怪。

スーフィーダンス。写真を取るどころじゃなかった。
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経費 宿泊費450Rs(三日分前払い) 飲食費333Rs 交通費130Rs 
    その他157Rs   合計1070Rs

9月21日

旧市街を巡る。ひどく汗をかく。バッグが塩で白くなり、中に入った本が湿る程ね。
夕方にはインドとの国境で開かれるセレモニーへ。双方の国民がゲートを挟んで
それぞれシュプレヒコールを叫ぶのを見て、複雑な気分だった。
どっちも同じパンジャーブ人だろうに…。

モスクに入ると、それまでの喧騒が嘘のような静けさが待っている。

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バザールで見かけたトランクス。カツミ…。

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羊屋さん。
レバーは分かるんだが、右にぶら下がっている袋はなんだろう。
それに左下の羊の顔が痛々しい。

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国境セレモニー。国旗を降ろすところ。
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経費 飲食費178Rs 交通費102Rs その他24Rs  合計304Rs

9月22日
この日も旧市街を巡る。ラマダン中なので、昼も夜も街に活気が無い。
ラホールはインド亜大陸では食の都としても有名らしいんだが、ほとんど
楽しめなかったのは非常に残念。今頃はラマダン明けも徐々に近づいて、
丁度楽しい頃なんだろう。悔やみきれない。この日も夜にフルーツジュースを
飲んでいたら向かいの男がおごってくれた。

経費 飲食費58Rs 土産880Rs  合計938Rs

9月23日
金が無い。財布には100Rs、即ち200円しか残ってない。
しかし、フライトは22:25。何もできないので宿の屋上でボーッとしてた。
ハンガリー人、ドイツ人、それにインド系のオーストラリア人のオッサンの三人が
ヒンディー語で会話するのを眺めていた。ヒンディー語が話せれば、人生が
より楽しくなると思うんだが。

ラホール空港に着いた時には5Rsしか持ち合わせてなかった。
まぁラマダンには困らされたけど、愛すべき土地だったよパーキスターン。
北部は素晴らしい景観とリラックスできる土地だったし、ペシャワールも一日だけ
だったけど雰囲気あった。スーフィーという奇妙な経験もできたしね。

経費:飲食費 84Rs 交通費13Rs

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2007年10月 1日 (月)

新彊・巴基斯丹の旅~パキスタン北部編後半~

今日が内定式だっていう会社は多いんだろうね。
俺は明日あるらしいから今日はずっとバイト探してたけど思うようにいかん。
スーパーの深夜の品出し、ピザ配達、葬儀設営のどれにしようか…。

9月15日

この日の午前はカリマバードの裏手にあるウルタル氷河へのトレッキング。

実に朗らかな朝である。

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ここではトレッキングコースなんてものは整備されていないので、辛うじて見つけられる
小道を辿っていくしかない。幾度も小道を見失い、道なき道を通りながらも
氷河が上流にあると思われる渓谷に到着。この向こうに氷河がある。。。

Dscn0265

ここは崖沿いに小道が整備されていた。
脇に目をやると100m程下にやっと底がある。一歩踏み外したらもうサヨナラ。
未だかつてないこの状況に、俺の肛門は収縮した。

Dscn0266

途中でクリスがリタイアしたので一人で行くことに。俺だって怖い。
崖沿いの小道を15分ほど歩くと、今度は険しい坂が待っていた。

Dscn0267

写真で見ると大したことないが、足場を見つけるのが難しくてかなりの難所。
30分ほど登った所で視界が広がった。氷河が見えるはずだ。

真っ白で壮大で、人間の存在を寄せ付けないような大氷河が。

Dscn0275

……微妙だ。またしても黒い氷河だ。
この先の小道も探してもどうも見つからず、崖を登っていけばどうにかなりそうでは
あったけれども、こんな所で一人で事故に遭っても誰も発見してくれないので撤収。
宿に帰ってから聞いた話だと、ここからさらに登れるらしいが危険だし、登ったところで
結局待っているのは黒い氷河だということで帰って正解だったと思う。

帰りも崖沿いの道を通ったが怖すぎる。腰が抜けそうになる。
下を除くとこんな感じ。浅い様に感じるが実際はそうとう深い谷。

Dscn0278

帰りは一度来た道なので大丈夫だと思っていたが、結局迷ってしまった。
どこを同間違えたかは分からないが、リンゴ園の棚田みたいな所に出てしまった。
何回棚から下の棚へとジャンプしただろうか。ひたすらジャンプを繰り返していると
民家の裏庭のようなところに出てしまった。遊んでいた母と子供達と遭遇。

子供達

Dscn0286

突然の闖入者に驚いたのか表情が硬い。
そりゃそうだ。俺だって突然ベランダからパキスタン人が入ってきたら驚く。
まぁなんとか下山に成功。ペプシを買いに寄った売店のおじいさん。
顔に履歴が刻み込まれてるよ。

Dscn0287

昼食を取った後、翌日はラカポシ山のベースキャンプへのトレッキングに挑むので、
麓にあるミナピン村へ移動。ミナピンの子供。

Dscn0291

ディランホテル?にチェックイン。
よく手入れされた庭には花が咲き乱れていた。こんないい宿は初めてかも。
パキスタンの観光業界はやはりテロ騒動で相当の打撃を被っているようで、
カリマバードには日本人を中心にまだ観光客がいるものの、グルミットや
ミナピン等周辺の村にはほとんど客がいなかった。待っていても客が来ない
庭園を手入れし続けるとは、インドとかパキスタン人には珍しいメンタリティ。

日が暮れると、翌日のトレッキングに備えてかなり早く寝た。全く平和だよ。

経費 交通費20Rs 飲食費318Rs

9月16日

朝7時にトレッキング開始。
宿の情報ノートに序盤に3kmのsteep wayが続くと書いてあったように、
そこそこに険しい岩道が続いた。地元の子供が平気な顔して歩いていたので、
何とか頑張ったけど。ロバの鳴き声を聞くと、とことん気が滅入る。

Dscn0299

コース自体はそこまでハイレベルなものではなく、序盤と終盤の険しい坂を除けば
山登りの経験がない俺でも十分にこなせるものだった。初日に会った邦人山男に
よれば「慣れた人なら4時間で行く」とのことだったが、何と3時間半でBCに到着。

Dscn0314

Dscn0318

いやぁ~神々しかったなラカポシ。最高だね山登り。
振り返ればこのラカポシのトレッキングがこの旅で最高の思い出だね。
一時間ほどBCでゴロゴロした後、下る。途中ラカポシ氷河が見えた。

Dscn0322

山を下る時にも歩き方に何かコツがあるんだろうが、慣れていないので疲労困憊。
加えて最後の一時間は行きで一緒だった地元の子供に水をせがまれ続けて、
イラつく。最初の子には500ml程分けてあげたが、それ以降はプリーズの一言も
言わないまままとわりつくガキ共に危うく制裁を加えるところだった。

何とかミナピン村に帰りついた。ヒザをガクガクさせながら歩いていると目に
飛び込んできたのは、見渡す限り一面に茂った五本指の葉っぱ。コショーサン
GHの連中に持って帰ってやったらさぞかし喜ぶだろうと思いながら記念撮影。

宿へ戻りしばし休憩した後に、宿を後にする。いい宿だった…。
クリスはここから南へ下ったギルギットヘ。俺は再びカリマバードへ。
五日間も一緒に行動したが、男二人、国も違えば、そこまで話が盛り上がる
わけも無く淡々とした付き合いだった。最後の別れまで実にあっさりとした
ものだった。クリスと会わなければラカポシのトレッキングなんかには挑戦せずに、
きっとハシシと密造酒に身を沈めていただろう。感謝感謝。
これをいい機会にこれからは暇を見つけては山登りに精を出そうと誓った。

この後はヒッチハイクしてカリマバードへ。
フンザインに戻ると、昨日まで泊まっていた部屋とは別の部屋へ通される。
入ると裸の人間がベッドで寝ている。俺に気付いて起きると、咄嗟に胸を隠したので
一瞬こりゃ女かと色めき立ったが、ゴツい顔した男でした。

Dscn0336

マレーシア人のzidikとか言ったかな。グラフィックデザイナーをやっているらしい。
気さくでいい奴だったな。20Lも無いようなリュック一つで旅行していて感心した。
今回ほど自分の荷物の大きさを痛感したことはなかったね。

この日も電気が無かったので、早寝。

経費: 宿泊費と食事代を含めたミナピンの宿への支払い300Rs
     交通費160Rs ネット40Rs 煙草20Rs 合計520Rs

9月17日
今後の予定を考慮した上、この日フンザを後にして南下することにする。
午前中はフンザの谷全体がよく見渡せるというドゥイカル村へ行った。
一時間半位坂を上らないといけないんだよね。それが災いしたのかな、出かける前
にトイレ行ったというのに途中で腹が痛くなっちまった。村まではまだまだある。
周りにトイレなんかありそうにない。さっき追い越した牛飼いのお爺さんが追いつく
まではまだ五分くらいあるだろう。向かいからは人が来ないことを願うしかない。
頭の中で計算を素早く終えた俺は、脇の茂みを飛び越え、素早くズボンを下ろして

野糞をした。

手元にあったいくばくかの紙とミネラルウォーターでこれまた素早く後処理を
終えた俺は再びドゥイカル村へと歩みを進めた…。ただ糞をしたら何だか急に
やる気がなくなってしまい、村へ着くとすぐにカリマバードへ引き返す。
この日はやや曇り空で、ラカポシにも雲がかかっている。俺はラッキーだったな。

Dscn0343_2

カリマバードに戻って昼飯を食ってると、近くにいた日本人が
「成田でお会いしませんでした?」と声をかけてきた。全く記憶に無いが搭乗日を
聞いてみると全く同じ便だった。彼は北京から旅行を開始して、この日ようやく
フンザにまで辿りついたらしい。よくよく話を聞いてみれば、帰国も同じ便だった。
こんな偶然もあるんだな。これで相手が女だったら恋に落ちているだろう。

荷物をまとめて昼過ぎにラワールピンディ行きのバスに乗った。
18時間の長旅になる。パキスタンはホモが多いという話が巷間まことしやかに
ささやかれてはいるが、この日バスの隣に座った男はやたら密着してきた。
最初はバスが狭いから仕方が無いのかと思っていたが、周りを見るとそんな
様子もない。一度は夜中に目を覚ますと俺の手はしっかりと握られていた。
曲がりくねった崖沿いの悪路と、その男のアプローチに悩まされ、翌朝
ピンディにつくまで熟睡できなかった。ラマダン中なので夜明け前の4時頃に
バスを止めて朝食。朝からカレーとチャパティはきつい。早朝にピンディ着。

楽園を捨てて街に出てきてしまった。

経費:飲食費290Rs フンザインへのまとめた支払い350Rs 交通費860Rs

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2007年9月28日 (金)

新彊・巴基斯丹の旅~パキスタン北部編前半~

昨日と今日、一泊二日でゼミ合宿で湯河原に行ってきた。
二日間だけなので昨日の午後と今日の午前、都合六時間しか勉強していない。
対して、夜のコンパは六時間以上も延々と続いたのであった。あんまりである。

中国を出て以来となる久しぶりの酒であったが、もうしばらく酒は飲みたくない。
ひどい二日酔いで手足がしびれ、運転できないかと思ったが、這う這うの体で帰還。
帰りに大学で成績開示をしてみると、残す単位はゼミだけとなった。めでたい。

話を旅行へと戻すと、
9月12日、カシュガルを出発し、中国とパキスタン国境の街タシュクルガンに宿泊。
洗牌が不十分で配牌の時点で一気通貫が出来ているような粗雑な麻雀と、
夜は満天の星空を見物。

9月13日 ハッピーラマダン!!
朝、8時にバスは交通賓館を出発。遠くで名残惜しそうな表情を浮かべたながら、
バスを見送る例のタジク帽子女の姿をこの俺は見逃さなかった。

バスの上にはパキスタン人商人達の荷物が山ほど詰まれている。それらを一度全て
おろし、中国税関の検査を経て出国手続きを完了し、それらを再び積みなおす
のに三時間かかった。11時過ぎにパキスタンへ向けて出発、今朝タシュクルガンから
バスに乗ってきて俺の隣に座ったパキスタン人、アミンさん。何でも十年程前は栃木で
働いていたそうで、日本語はまぁ堪能だった。アミンさんがくれるクッキーをバクバク
食べながら窓の外の景色を堪能。正直言ってアミンさんの口臭は洒落にならなかった。

ニコルさんは言いました。「森は生きている。」
しかし、岩肌がむき出しになった山々が見せる表情は、じつに過酷で非情だ。

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道中にあるフンジュラーブ峠は標高5,000m近くある。
頭痛や吐き気は感じなかったが、やたら眠くてついウトウトする。
結局峠で一番高い場所にあるカラコルムハイウェイ開通記念碑を見逃してしまった。
フンジュラーブ峠を越したあたりの風景。

Dscn0215


アミンさんと話していると、頼みごとを持ちかけられる。
お安い御用だと聞いてみると、日本に帰ったら栃木時代に仕えていた社長である
ナカジマさんに電話をかけて、アミンが宜しく言っていたとだけ伝えてくれとの事だった。
快く引き受けてナカジマさんの電話番号も控えておいたのだが、まだ電話していない。
簡単な話なんだが、突然見知らぬ日本人に電話をかけて、セイハローした際の
向こうの反応とか考えるとめんどくさい。

以前、インドのムンバイの結構外れにある居酒屋で飲んでいた時も、
俺が日本人だと見ると一人の店員が寄ってきて何やら話しかけてきた。
通訳してもらうと「兄が日本に働きに行ったまま、ずっと連絡が取れていない。
無事を確かめてきてほしい。」とのことで、名前と"090"から始まる番号が書かれた
紙ナプキンを手渡された。この時もインドへの恩返しとして一肌脱ごうかと最初は
考えていたが、結局めんどくさくてやっていない。

今まで海外を旅行して自分はどれだけ多くの人たちに助けてもらっただろうか。
それを考えれば、電話で連絡をするくらい何でもないはずだ。
そんなことは分かっているのに動かず仕舞い。最低だ。いつか罰が当たる。


それからアミンさんの口臭に昇天していると、パキスタン国境の街スストに着いた。

Dscn0223


無事入国手続きを済ませたが、そこから再び荷下ろし、検査、積み荷が終わるのを
三時間ほど待たなくてはいけない。そこで旅行者同士誘い合って、乗り合いワゴン
(カラコルムハイウェイ沿いにある村々を結ぶワゴン。途中の道からも乗れる)で
フンザ旅行の拠点となる村カリマバードを目指す事に。最初に乗ったワゴンは国境から
一時間ほどの場所にある村、パスー止まり。疲れたのでとりあえず飯を食うことにする。
カシュガルから一緒のバスに乗っていたくたびれた邦人三十路女と、パスーの手前で
ワゴンに乗ってきたトレッキング帰りの煤けた邦人三十路男性はそのままヒッチハイク
するとのこと。勝手にしろい、と丘の上にあるレストランに入る。どかっと席に着いて
道路を見下ろすと早速三十路コンビが乗用車のヒッチハイクに成功して走り去って
行ったのを見てしばし呆然とする。

レストランGlacierから撮影した夕暮れも近い谷の風景

Dscn0225

残されたクリスと俺。飯を食ってからヒッチ開始。
30分ほどしてから乗り合いワゴンが来た。
パスーからさらに一時間ほど行ったところにある村、グルミットまで辿り着く。
グルミットでもさらにヒッチハイクを試みたが、日が暮れるとカラコルムハイウェイを通る
車は最早無く、この日はグルミットに泊まる事に。停電中と思しき村の中を懐中電灯で
照らしながら歩くと宿を発見。"Gulmit Continental"ダブル一部屋が
300ルピー(600円)。電気も無いし酒も無いので寝るしかない。22時には寝た。

9月14日
この日の午前はグルミット周辺を散策することに。いくつかの村と氷河を見るハイキング。

写真はクリス。オーストラリア人30歳職歴無し、今まではセミプロのようなスノー
ボーダーだったらしい。昨年一年はイギリスでデイトレを個人でやっていたらしい。
来年から哲学の修士に進むらしい。
五日間一緒だったけど日本人の俺の尺度では測れない男だった。

因みにこの日は雲ひとつ無い青空。昨日の邦人山男曰く、2、3日前から快晴らしい。
トレッキングをするには絶好のチャンスだ。

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グルミットから丘一つ越えたところにあるカマリス村の子供。
パキスタン北部は、パキスタンの人口の過半を占めるパンジャーブ人とは異なる人種の
人々が暮らしており、独自の言語や風俗を持っている。よって、このように金髪碧眼の
子供達が多い。アレキサンダー大王遠征軍の末裔なんて伝説もある程だ。
ここグルミット周辺は「ゴジャール」という地域で、人々はワヒート語を話す。
少し南に行くと、カリマバードがあるフンザになって、また別の言語を話す。

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雨季が明けて、緑が美しいパキスタン北部を訪れるには最高の季節。
加えて天気にも恵まれた。

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カマリス村、グルキン村を経てグルキン氷河を目指す。
それなりに険しい道を登りながら何とか辿り着くとそこには、、、、

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何だか黒くて汚れた堆積物が。。。氷河の上に泥が堆積しているらしい。
この氷河は横断することもできるのだが、まぁ危ないしフンザへの移動もあるので撤収。

必見。この旅で唯一の、子供でない女性を捕らえた写真。
見ず知らずの女性にレンズを向けること自体物議を醸す行為であるが、
ましてやイスラム圏である。当然自粛していた中、思わず撮影。

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パキスタン北部、フンザ一帯をしてよく言われるのがナウシカの舞台のモデルである、
ということ。ナウシカなんて昔一度だけ見たことがあるだけでよく知らないんだけど、
確かこんな感じの三つ編みのババアが登場していた気がする。「フンザ=風の谷の
モデル」説を裏付ける証拠となるだろう。この三つ編み婆、ここらでよく見受けられる。

さて宿に戻り荷物を持って、カリマバードを目指しヒッチハイク開始。
しかし、乗り合いワゴンも来ないし、ヒッチする車も通らない。
しかし、一時間ほどしてからパキスタン名物デコレーショントラックが止まってくれた。
めったにない経験だったが、大型トラックなのでエラい遅く、
カリマバードまで3時間ほどかかってしまった。

デコトラ
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快く乗せてくれた運転手。うっかり水を飲んだらラマダンだ!と怒られた。

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何とかカリマバードの麓に到着。ゆっくり進むトラックの座席はかなり疲れる。
そこから割と急な坂道を20分程登ったろうか。俺のバックパックは要らない物ばかり
詰め込んで結構重いので、それを背負って登りきった時にはチアノーゼ寸前だった。
カリマバードには有名な宿が三軒ほどあるが、その内の一軒、"Hunza Inn"にチェック
イン。勝新太郎によく似た主人が切り盛りしている。夕食の時間までに、付近を散歩
していると早速日本人とすれ違う。話を聞くと、他二軒の宿は日本人を中心に多くの
旅人で賑わっているらしい。"Hunza Inn"には日本人は俺だけ、総勢も五人未満。
勝新の名が泣く。

夕飯時にそんな会話をしていると、それを聞いた勝新がたまりかねたように口を挟む。
"Khosho-san guest house has good facility for Hashish,
Heider inn has good facility for alcohol, and here good facility for food."

ハイダーインには粗悪なアルコールを使った地元の密造酒があるらしく、
またコショーサンでは夜な夜な日本人がハシシに耽っているらしい。

フンザイン自慢の食事。腹いっぱい食べられて75ルピー。

Dscn0249

今日も電気無し酒無しなので、同室のクリスは夕食後すぐ布団に入ってしまった。
前日も前々日もそうだったが、この男よく眠る。さすがに九時前に寝るのは俺には
無理なのでジャンキー共と対峙すべく意を決して虎の穴・コショーサンGHへ向かった。
到着すると食堂を十人余の日本人で占拠している。そして既にハシシが回っていて、
早くも目を真っ赤にしている奴なんかもいる。隅っこに座って、適当に会話に加わる。
ハシシが回ってくるがきっぱり断る。あくまでジャンキーとの対話が目的である。
それにしても会話がしょーもない。海外でよくある日本人長期旅行者同士の
旅の思い出だとか豆知識の類に過ぎない。

30には手が届いてるであろうおっさんが、とろんとした目で
「宮崎駿はこういう風景を見てナウシカを描いたんだよな…」とか言うのを見るにつけ
お前大概にしろよと言いたくなる。どうしても日本人長期旅行者の場合は欧米人と
違って、社会からのドロップアウト組が多くなってしまう。必然、年相応の経験とか
見識を全く感じさせない人が多い。良く言えば若く見える。時には30overの人が
自分よりも年下に見える事すらある。そんな人がろくに仕事もせずに海外に出ては、
昼はゴロゴロして夜はハシシに耽る。先人達が一生懸命はたらいて円を強くしてきた
からこそ成せる業である。人のふんどしで相撲とってるみたいなもんだ。
まぁ俺もモラトリアム学生旅行者だから偉そうなこと言えないけど。
にしたって日本人で群れて宿の食堂占拠してハシシ回すなんていうのは、
他の国の人たちからしてみたら、非常に奇怪な光景だろう。日本の恥だよ。
ジャンキーとの対話も程程にして我が宿へ戻る。


この日も星が凄かった。流れ星を見た。

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2007年9月25日 (火)

新彊・巴基斯丹の旅~カシュガル・国境編~

旅はシルクロード列車の旅へ突入

9月8日
朝、これから西へ行くということであまり食べられない漢族料理を食おうと思い
ワンタンと小籠包を食いに行く。朝から食いすぎて死にそうになる。限界超えた。
ユースにある机で日本語を勉強している外人と話したら、なんでも数年前まで
国分寺で英会話教師をしていたらしい。来年からは池袋のアルクで教えるらしい。
世間は狭いな。

昼にはカシュガル行きの列車に乗り込んで、出発進行。24時間移動。

Dscn0109

345元(約5000円)も払っているだけあって、寝台は相当綺麗。
24時間どころかずっといたいくらい快適だったよ。
俺のコンパートメントの人たちは20時間くらいは寝ていたね。

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車窓からの景色はこんな感じ。写り悪い。

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近くの寝台に日本人旅行者がいたので食堂車でビール飲みながら食事。
食堂車での食事が旅情をかき立てる。
窓の外を見ていると、荒野が続く中ポツリポツリと人家と灯りが見られる。
こんな所にも生活がある。世界は広い。こんな所に生まれて死んでいくっていう
人生は考えたくない。外の事を知らない限り、それでも問題ないんだが。

経費:飲食費60元 交通費1元 ネット5元  合計66元

9月9日
朝起きたら寝台にいた。中国は公式には国内に時差を設けていないので、
ここまで西へ来ると朝の九時頃まで薄暗い。ゴロゴロしていると昼に到着。
件の日本人ケンさんと色満賓館にチェックイン。ドミ30元で結構良い部屋。
すぐバザールへ向かう。ここカシュガルは日曜のバザールに多くのウイグル族が
集まることで有名なのである。

バザールへ到着。見渡す限りのウイグル族に興奮。
売ってるものは衣料品や青果物が多く、物自体に見所は無いが活気が溢れる。

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雑踏の中で

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ニンニク売りの爺さん

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爺さんと孫。

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子供。テラカワユス。

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バザールではアザーンが流れるモスク型時計とウイグル帽を購入。
ぶらぶらとバザールを見学した後に、ウイグルの古い町並みが保存されている
老城という地区へ向かう。入場料30元も取られる。昔はカシュガルの全体に
こうした古い建物が並んでいたのだが、西部大開発に伴ってそうした町並みは
破壊され、一部が保護された上で観光地となっている。
さらに街の中心地には漢語が踊るようになり、当時は街の中心にあった
バザールもすこし離れた場所に移動させられたようだ。
こうした事象は、チベットも含めた中国のあちこちで起こっている。
その良し悪しは別の機会に考えよう。

老城の町並み。バザールの喧騒とは離れた静寂の空間。
何となくジョジョでアブドゥルがディオから逃げたカイロの下町を連想した。

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老城の子供達

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この日の夜は、色満に泊まっていた日本人三人、日本語を話すカナダ人一人、
それに韓国人二人でビールを飲んだ。皆長期旅行者で、これからチベットへの闇バスや
中央アジア横断に挑戦するそうで羨ましく思った。

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経費:宿代30元 飲食代34.5元 交通費5.5元 観光費30元 土産30元
合計130元

9月10日
翌日のパキスタン行きのバスチケットを購入。270元。中国は長距離移動は
そこまで安くない。中心にあるモスクや職人街という名の土産屋街をぶらつく。
ここで大勢の人民のツアーと遭遇。後ろについていくと結構むちゃをする。
ナン屋の前ではおもむろに大きなナンを手に取り、かじり付くポーズを取ってパチリ。
ナンを片手に様々なポーズを取り続ける人民に、ウイグル族のおっさんブチキレ。
漢語ではなく、英語で「GO!!!」と叫んだところに複雑な事情を垣間見た。
この日は特にすることもないので、ひたすら飯を食うことにする。
まず地球の歩き方に出ていた、郊外の紡績工場内の社員食堂のラグメンが
絶品ということでバスに乗って苦労しながらも行ってきた。


が、あえなく門前払いを食らった。
そりゃそうだ。俺の会社の社食にいきなりウイグル人が押しかけてきても追い返すわ。
紡績工場のラグメンにはありつけなかったが、街で色々食ったよ。
新彊料理は本当に美味い。


経費:宿代30元 交通費273.5元 飲食費43元 ネット5元 合計351.5元

9月11日
この日は午前11時にパキスタン行きのバス出発ということで、ターミナルへ。
が十分な人数が集まらなかったということで、結局出発せず。
ただターミナルで寄ってきた人から良いレートでパキスタンルピーを買えた。
800元を6400ルピーに両替。でこの日も食道楽。
明日は出発できるといい。

経費:宿代20元 交通費3元 飲食費31元 ネット5元 その他10元 合計69元

9月12日
この日は北京時間9時(新彊時間7時なのでかなり早い)にはバスターミナルへ。
9時半には出発と言われていたが、ゆっくりと商人達の荷物を積み続け結局二時間遅れ。

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道中の風景

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このバスでオーストラリア人のクリスと知り合いになる。
15時には中国側国境の街、タシュクルガンに到着。バスが着いた交通賓館に逗留。
ぶらぶらとしてみるが何も無い街だ。

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青空の下で卓を囲んでいる連中がいる。麻雀である。

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しばらく見ていたけど、ルールが全然分からなかった。
唐突に手牌をオープンする奴がいたり、写真でも分かるように誰がどの牌を切ったかは
全く分からないようになっている。中国最終日にして、漢族の粗雑で野卑な性格が
見て取れたような気がした。その後、宿のトイレで小便をしていると隣のおっさんが
同じく小便をしながら日本語でぶつくさ言っている。驚きながらも話しかけてみる。
結構旅行経験豊富なおじさんで、今回のテーマは中国の国境を巡る旅らしい。
ロシア、モンゴル、中央アジア各国との国境を巡ってきて、パキスタンとの国境の
タシュクルガンに来たらしい。なかなかマニアックな旅の話を聞かせてもらう。

夜はクリスに誘われてホテルに併設されているレストランへ行くが、ここは
さっきのおじさんが「あんなまずいもの生まれて初めて食べたよ。」と言っていた
所である。それもまた一興。麻婆豆腐とスープと白米を頼んでみた。

くそ不味かった。めちゃくちゃ不味かった。
マーボーは山椒を口に放り込んでるようなものだった。
スープはお湯にほうれん草と卵を放り込んだだけのものだった。
中国最終日にこの仕打ちとは…泣けた。

新彊ウイグル自治区には、中央アジア諸国と国境を接しているだけに、ウイグル族
だけでなくカザフ、タジク、キルギス、タタール等多くの少数民族が暮らしている。
交通賓館で働く写真の女達は、タジク族だそうだ。男はパキスタン人のバスドライバー
で、定期的に中国パキスタンの間のバスに乗っているようだ。
因みに帽子をかぶった女の子とパキ男はただれた関係にある。

Dscn0192

タシュクルガンは標高が3200mあるとのことなので、夜は相当寒かった。
ただあんなに星空を近く感じたことは初めてだった。圧巻だった。
明日はいよいよパキスタンへ入国する。時を同じくして明日からラマダンが始まる。

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2007年9月24日 (月)

新彊・巴基斯丹の旅~ウルムチ・トルファン編~

今日、旅行から帰ってきた。
旅の興奮が冷めやらぬうちに旅日記を書いてしまおうと思う。
記憶を辿れば、9月2日まで遡る…。

9月2日
この日は武蔵水球部の飲み会だった。
気付くと俺は上から二番目に年長。それでも騒ぐだけ騒いだ後に、
〆のラーメンとして博多天神で替え玉まで押し込み、終電に滑り込んだ…。

この後、駅員に起こされて気付くとそこは二駅乗り過ごした終点、新所沢駅。
ポケットを探ると切符が無い。何とかして改札を潜り抜けたあと階段を下りる。

ハタと立ち止まる。
間髪入れずに、全く消化されていない柳のような細麺が口から溢れ出る。
ジャンジャンバリバリ出た。

残された吐瀉物をぼんやりと眺めた後、徒歩で家へ向かった。

9月3日
前日の出来事も何のそのバックパックを担ぎ颯爽と出立。
パキスタン空港で北京まで飛び、それからエアチャイナでウルムチへ。
ウルムチには深夜0時過ぎに着く。

乗り合いワゴンに乗ってとりあえず街へ向かう。
行き先を聞かれたので、ユースがある場所「紅山(ホンシャン)」へ、と頼んだ。
そしたら発音が悪かったのか「火車站(列車の駅の事)」に連れて行かれた。
アッタマ来るぜ。会話が成立しないので、タクシーをつかまえて自力で紅山へ。
ただ紅山で肝心のユースが見つからず、結局タクシーで駅に向かい近くの
「新彊飯店」にチェックイン。随分と街の中をさまよったので部屋に着いたら3時過ぎ。

経費:宿代60元 交通費25元 飲食費5元   合計90元

9月4日
遅くに寝た割には早くに起きる。
中国西端の街カシュガルへの鉄道切符(345元)を買いに行ったり、観光をしたり。
博物館には有名な楼蘭美女のミイラや少数民族に関する展示があってまぁまぁ。
切符は駅に三回行ってやっと買えた。因みにこの日はホテルの人と以外話してない。

ウルムチの駅。デカくて立派。

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成人用品とか成人保健とか掲げた店が街にたくさんある。
中にはコンドームとか怪しげな薬とか色々と売っていた。

Dscn0024

丘の上にある公園から眺めたウルムチの街。
マンハッタンかと思った。ここまで西部大開発は進んでいるのだ。

Dscn0028

経費:宿代60元 交通費348元 飲食代35.5元 観光費30元  合計473.5元

9月5日
バスに乗ってトルファンという街へ行った。葡萄の生産や様々な遺跡で有名な街だ。
道がこのように葡萄棚のようになっている。静かで涼しくてよろしい。

Dscn0033

「この葡萄が全部俺のものだったら…」なんて考えながら葡萄を購入し、
道端で食べていると少年達が話しかけてきたので、拙いながらも筆談で会話をする。
丁同福と高子寒だったかな??

Dscn0046

カメラを貸してやったら、色々と撮ってきた中の一枚。
恐れを知らぬ子供ならではの接写。

Dscn0043

下らない会話を切り上げて、夜は夜市で独りビールを飲んでると、またやって来た。
この前髪の感じ、漫画でもないとなかなか出せない。まるで魔太郎だ。

Dscn0048

経費:宿代50元 交通費41元 飲食費42元 ネット2元  合計135元

9月6日
この日は、トルファン市内郊外の名所を巡る一日ツアー(60元)に参加する予定だった。
しかし宿に迎えに来たガイド(日本語が流暢)曰く、
「十分な人数が集まらなかった。今日は車をチャーターしてもらうことになった。」
といって指差した先のホンダFitの中を覗くと初老の人民夫婦が乗っていた。
チャーターということでツアー代は一気に250元(3,750円)に跳ね上がった。
べらぼうである。実にべらぼうである。ただその時は早朝で思考が低下していたので、
普通にOKしてしまった。こうして人民夫婦とトルファン巡りをすることになった。

まず向かったのは吐浴溝とかいうかなり市街地から離れたところにあるウイグル族の
寂れた村。つい最近観光客に解放されて、観光特区のような物に指定されている。
山間にあって何となくいい感じではある。村の奥には古い仏窟もあった。

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ちょっと可愛かったので写真を撮った後、母親から大声で「シークアイ!!(十元)」と
お金を要求されたのでそそくさと立ち去ると後ろからも叫び声が追ってきた。怖かった。
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この後も地下水トンネルを利用した灌漑施設「カレーズ」や唐代の城址である
「交河故城」、牛魔王でおなじみの火焔山などを巡ったが、中国の観光施設は
どこも異常に入場料が高い。軒並み30~40元するが実際に入ってみると
保存状況が悪かったり、そもそも大したことがなかったりするのでほとんどの物が
入場料を払って見る価値が無い。そんな物に今日は車代含め400元も払った…。
ちょっと後悔している。ただ昼飯を人民の旦那に奢ってもらえたのは良かった。

アスターナ古墳のミイラ。唐代のミイラにしては保存が良い。

Dscn0060

人民と新彊美女

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夜は地球の歩き方に乗っていた「蘇来慢拌麺王」に新彊名物「ラグメン」を食いに行く。
ラグメンとは、うどんのような手打ち麺にマトンや野菜を炒めたものを乗せた料理。
これがメチャクチャ美味かった。空海もこの味を求めたのかもしれない…。
そんな事を考えると余計に箸が進んだ。

「美味いだろ!!」

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ここまで来て気付いたが、中国のホテルでは女性が多く働いている。
男が目立たない。滞在している吐魯番賓館のフロントは美人が多かった。
中国人女性は英語でもハキハキ話すのが何か良い。

経費:宿代50元 飲食費24.5元 車代250元 観光費150元  合計474.5元

9月7日
朝食は再び「蘇来慢拌麺王」に行ってきた。別のものを頼んだけど美味かった…。
昼に再びウルムチへ舞い戻る。前回発見できなかったユースホステルにチェックイン。
ウイグル族伝統のバザールを巡ったが、金を貰っても要らないような物ばかり
(ナイフ、人形、花瓶、パシュミナ等…)が売られていた。

朝のトルファン駅前。空が綺麗だ。

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トルファンからウルムチへ戻るバスの途中で

Dscn0095

レッドブルならぬレッドキャメルが新彊ではよく売られていた。

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夜、ライトアップされたバザール。カルフールの看板が見えるでしょうか。
こんな所にも外資の手が伸びているのが中国らしくて好き。

Dscn0105

ユースホステルのドミトリーは人民バックパッカーが多かった。
人民青年達も個人旅行をするような時代なのだ。またも受付の女の子が可愛かった。
チェックインの際、名前を簡体字で署名をしたら「メンマー、メンマー」と呼びながら
色々と説明をしてくれた。悪い気はしなかったね。
中国人の女は目が細くて頬骨が高いみたいなイメージを事前に抱いていたが、
パーツがシンプルでスタイルが良い女の子が多い。新たな発見だ。CDを土産に購入。
明日は一路カシュガルへ向かう列車に乗る。シルクロードの旅である。

経費:宿代40元 交通費45元 飲食費24元 その他82元  合計191元

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2007年9月14日 (金)

パキスタン突入

12日、カシュガルからパキスタンのギルギットまで直通(途中国境で一泊)のバスに
無事搭乗することができた。本当は昨日にはフンザという地域にあるカリマバードという
街に着いているはずだったんだけど、ちょっと山っ気を出したばかりに途中の村で一泊を
余儀なくされて、今日トラック(ギンギラに飾られた奴)をヒッチしてカリマバードに到着。
昨日泊まった村は他に観光客がいなくて、午前にハイキングした限りは雰囲気最高だった。
あと、中国側の国境にある街(標高3,200m)で一泊したわけだが、星が凄かった。
久々にビックリした。

来る前はフンザ、フンザと全て一緒に考えていたが、たくさんの村が国境からの
道沿いにあって、なおかつその間の交通手段が非常に乏しいため、
やや苦労したけど、なんとか到着できた。

ところで
カシュガルの街を出てからは、オージーのクリスという人間と行動を共にしています。
やたら旅慣れているなぁと思っていたらもう三十路に突入しているよう。

恐らく、明日はラカポシとかいう山のBCへのトレッキングに彼と行ってきます。

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